豊澤豊雄先生との約束

豊澤豊雄先生は戦後「日本人の知恵がこの日本を救うのだ」と主張し衆議院議員となり、当時先生が書かれた「特許出願は誰でもできる」はベストセラーとなりました。その後、特許関連の書籍は二百冊以上出版され多くの日本人が知的財産権を知るようになったのです。

ところがある時から「特許はもう古い。今からは著作権だ」と主張し始めたのです。

周りの私達は驚きました。当時特許管理士会の職員だった私は特許出願方法を講師として教えていた訳ですから「いやいや仕事なくなるやん。先生勘弁してくださいよ」と戸惑ったものでした。しかし、それから半年後、私は著作権普及団体の代表になるのです。。。。

ある日、私は豊沢先生から呼ばれました。

先生「二代目の社長がやめることになった。次は井上君に任せたいのだが、どうだ?」

私「とんでもないです。私には荷が重すぎます。しかも著作権法は勉強していません」

先生「著作権は今から勉強すればよい。〜 略 〜 そんな事よりも大切な事。。。。。。。

今までの技術は日進月歩だったが、これからの時代は秒進分歩になる。とるのに1、2年かかるような特許じゃ間にあわん。権利期間(現在20年)もその技術で食べていけるような悠長な時代じゃなくなる。日々変化、技術革新していかねばならない時代に特許制度が追いついとらん。政治家も官僚も誰も気がついとらんから私が言っておる。ま、私が言わんでもそうなるが。。著作権法という権利は、金もかからんし、権利は即日発生する。世界に及び権利期間も長い。日々の創作活動を行う発明家や企業にとってはありがたい法律だからそれを広めたい。

どうだ?手伝ってくれんか?。。。。」

即答はできなかったものの数日後、私は先生の頼みを引き受ける事にしたのです。

もう20年近い昔のはなしです。

私が今思う事は、今の時代、まさに豊沢先生が主張しておられた時代がやってきていると実感する日々です。もちろん一つの技術にこだわり続ける事も大切です。と同時にさらなる高みにチャレンジする気持ちこそ、最も大切な事ではないでしょうか。

皆さんがそしてこの日本がさらなる飛躍をするには一つの権利に縛られる事無く、その技術を皆に有効に活用させ、己はさらなる技術を追い求める姿勢こそ尊く、重要であり、最終的にはその事が、己を救う事にもなるのかもしれません。

新年三が日も今日で終わり。明日からまた新しい自分発見の旅に出発しましょう。 感謝

※現在、特許制度においては出願費用の軽減、権利早期付与等の改善がなされています。